
- 冬幻想花 - 第九話
第九話 幻想の終わり
-The end of the night-
居間の明かりを点け、中へ入った。
壁から手を離した瞬間に崩れそうになる。
息遣いがさらに激しくなり、めまいもしてきた。
あと少し、あと少しなのだ。それまで持つだろうか。
小物台への数メートルが果てしなく長く感じた。
ようやく手をつき、呼吸を整えてから冬幻想花をみやった。
先ほどみた時と変わらない、少しやせ衰えた、小さな植物。
わたしは両手でそっとその花を包んだ。
唐突に身体が軽くなり、呼吸が楽になった。冬幻想花の力だろうか。
今や見間違うことなく、はっきりと輝きが見て取れる。
淡い光を、花全体から放っている。
「ありがとう、少し楽になったよ。」
わたしの呼びかけに応えるかのように、冬幻想花は静かに輝きを増した気がした。
「病院まで行きたいの。けど、今のわたし一人ではとても無理そう。
力になってくれる?」
すると、放っていた光が強くなり、部屋全体を包み込んだ。
わたしは咄嗟に目を閉じる。両手からはじんじんと熱い鼓動が聞こえる気がする。
これが冬幻想花の力……。
一瞬あと、目を開いてみると、信じられない光景が飛び込んできた。
わたしの体の二倍はあろう大きさの、銀色の体毛に包まれた馬、それも翼の生えた馬、
いうなればおとぎ話に出てくるペガサスのような風体の生き物が一体、
わたしの隣に立っていた。
その身体からは堂々とした力強さを感じさせられた。
吸い込まれるような漆黒の瞳を見つめていると、辺りに小さな光が集まってきた。
よく見るとそれら一つひとつは妖精のような格好をしている。
小さな羽をはやし、手の平に乗るような大きさの妖精が数匹、わたしの周りを羽ばたいていた。
わたしが唖然として周囲を凝視していると、ペガサスは踵を返し、
わたしに背に乗れと言わんばかりの格好をとっている。
「あなたが、わたしを連れて行ってくれるの?」
ペガサスは静かに頷く。
「ありがとう。」
そうはいっても、冬幻想花を片手に持ち、
この背の高いペガサスの背に乗るのは、今のわたしには困難だと思った。
だが、手をかけると同時に、ふわりと体が浮き上がる。
慌てる間もなく、わたしはペガサスの背に座っていた。
足下を見てみると、どうやら妖精達が手助けしてくれたようだ。
みな一つにかたまり、わたしの方を見ていた。
「ふふ、ありがとう。」
わたしはシャイな妖精達に礼をいい、前を見つめた。
口元から伸びる手綱を片手に、「お願いね」と、ペガサスの鬣をなでる。
妖精達は、今度はベランダの出窓の鍵を開け、出口を確保する。
真っ暗な空が広がっている。しかし、妖精達の光が行く先を明るく照らしている。
『いきますよ。』
ペガサスはわたしに語りかけてきた。わたしは頷いて、姿勢を正す。
双方の翼を広げ、勢いよく地を蹴って、一気にベランダから外へ飛び出した。
一瞬恐怖で目を閉じたが、次の瞬間、思わず息を呑んだ。
眠りについた漆黒の街のはるか上空を、わたしは今羽ばたいている。
一緒についてきた妖精達の光で、わたしの周りだけが明るく輝いている。
真っ暗でも、その上空から見下ろす景色は言葉に出来ないほど美しかった。
わたしは歓喜に震え、身を乗り出して下界を覗く。
恐らく、一生いきていても、こんな景色は見ることはできなかっただろう。
真冬だというのに、勢いよく風をきって走っていても、ちっとも寒くなかった。
身体がもうおかしくなっているのか、それともこれも冬幻想花の力なのか、それは解らなかった。
どれくらいそうしていただろうか。
気がつくと、目の前に如月病院の影が映っていた。
とうとう着いた……たどり着いたのだ。
わたしを待つ、わたしが迎えに来るのを待つ人のいる場所へ。
ペガサス徐々に高度を下げ、迷うことなく圭一さんの病室へ飛び込む。周囲に莫大なガラスの割れる音を響かせて、
病室内に飛び込んだ。
わたしはそっとペガサスの背から降り、圭一さんに近づいた。
この間あったのは何日前だったろうか。随分と寝込んでいたせいで、
その顔をのぞき込んだとき、ひどく懐かしく感じた。
以前きた時と同じように、圭一さんは眠り続けている。
最後まで一人で全てを背負い込み、そしてそれが今果たされて、安らかに眠っているようだった。
「迎えにきたよ、圭一さん。」
当然返事はない。だがそれでもよかった。これで、圭一さんはずっとわたしと一緒だ。
わたしは圭一さんに繋がっている、すべてのチューブと機器類を取り外した。
これでもう圭一さんを拘束するものはなくなった。
わたしは体を乗りだし、圭一さんの唇にそっと自分のそれを重ねた。
体がほてるのを感じる。そう、キスをしたのも、あの日以来だった。
しばらく余韻に浸ったあと、「さ、帰ろう」とささやきかけ、布団をはぎ取った。
同時に廊下から「こっちから音がしたぞ!」と叫び声が聞こえ、
次いで病室のドアが開いた。窓ガラスの割れる音を聞いて駆けつけてきたようだ。
「き、君、大丈夫か?一体なにが……」
入ってきた医師の言葉はそこで途切れた。割れた窓ガラスよりなにより、
わたしの後ろに控えるペガサスと、ぼんやりと光る妖精を凝視して、声を失ったようだ。
あとから数人の医師と看護師が駆けつけてきた。だが、皆同様に声を失う。
その看護師の中に、見知った顔が一つだけあった。堀沢さんだった。
「あ、アユミ!?」
固まっていた医師達のなかで、堀沢さんだけが声をあげた。
その一声で、他の医師達も我に返ったようだった。
「い、一体どうなってんの?」
訳が分からない、といった物言いで、病室に入ってくる。
「堀沢さん、今まで圭一さんのお世話、ありがとうございました。
けど、もう大丈夫です。あとはわたし一人で。」
そう言って、圭一さんの肩へ腕を回し、担ぎあげようとした。
それを見て止めたのは最初に入ってきた医師で、
「ちょっと、勝手に患者に触っちゃいけない」と言って、わたし達に詰め寄ってきた。
「邪魔しないで!!」
わたしは冬幻想花を前へ突き出し、叫んだ。
すると、目を覆うような強い光が冬幻想花から発せられ、
部屋の中を包み込んだ。皆うめき声をあげて両目をかばう。
そしてその直後、部屋の上下から茨のツタが何本も生えてき、その医師へ絡みついた。
「うぎゃあああああああ!」
無数のツタが医師に巻き付き、
鋭いトゲが服を貫通して体にまでめり込み、瞬く間に鮮血が辺りをぬらした。
それを見て看護師の一人は叫び声を上げ、他の医師達も一歩下がって、部屋から抜け出した。
堀沢さんだけは、微動だにせず、絡みつかれた医師とわたしとを交互にみやっていた。
「さようなら、堀沢さん。」
わたしは軽く会釈をし、圭一さんを担ぎ上げた。
当然、今のわたし一人で圭一さんの体重を支えられるわけもなく、すぐに崩れそうになったが、
また妖精達が手を貸してくれた。
そのままわたしと圭一さんはペガサスの背にまたがった。圭一さんはわたしの背にもたれさせ、
倒れないように妖精達が両脇を支えてくれた。
「二人乗っても大丈夫?」
わたしはペガサスに問いかけた。
『心配無用です。行きましょう。』と、出発時同様、勢いよく部屋を飛び出した。
病室内には無数の茨によって張り付けられた医師という、異様な光景だけが残った。
ぐんぐんと風を切って、再び夜の空を疾走する。
もうじき夜明けだ。それまでわたしが持つか、心配だった。
体が重くなり、握りしめた冬幻想花がいかにも苦しそうだった。
熱も上がってきたようだ。とうとう終わりが来たのかもしれない。
「で、できるだけ、急いでね。」
タクシードライバーを急かすような言葉をかけ、ペガサスの鬣をなでる。
それに応えるように、またぐんぐんと速度が増していく。
わたしは後ろで支えている圭一さんの方を振り返った。
「圭一さん、もう少しでうちに着くよ。」
そう言いながら、もう一度唇を重ねる。キスだって、もうする機会などないと思ったからだ。
暗い空から光が差し込んできた。朝日だ、夜が明けたのだ。
光は徐々に暗い空を明るく染め、それに伴って街の本来の姿があらわになる。
ほとんど復旧したといっても、一部はまだ大神災の傷跡をとどめている。
それでも、この世界は十分美しい。
それを、生きている間に、最後にでも知れてよかった。
わたしは本来この世界に存在しないはずなのだ。
だから、この美しさも知ることはなかったはずだった。
だが、今こうして改めて美しさを知ることができた、それが嬉しかった。
最後の最後で、知ることができた。
最後の最後で、圭一さんの真意を知ることができた。
それだけで十分満足だろう。
わたしの心は奇妙なくらい晴ればれとしていた。
「これで虹なんか架かってると、綺麗なんだけどな。」
わたしがそうぼやくと、遥か彼方から七色の大きな虹が伸びて来、
わたし達を通り過ぎて地平の彼方へ伸びて、消えていった。
「綺麗……」
言葉に出来ない美しさだった。がんばったわたしへの、冬幻想花の最後のご褒美なのだろうか。
『着きましたよ』とペガサス。
一際高いマンションが見えてきた。帰ってきたのだ。わたし達の旅の最果てに。
ペガサスはゆっくりと降下を始める。ベランダの出窓は、出てきたと同じまま、開け放たれていた。
「圭一さん、着いたよ。」
ペガサスは静かにベランダに着地した。
まずはわたしが背中から降り、ペガサスの顔にほおずりしながら「ありがとう」と礼を言った。
そして、妖精達に手伝って貰い、圭一さんを背中からおろした。
そのまま肩に担ぎ、妖精達の方を振り返った。
「あとは一人で大丈夫。あなた達も、ありがとう。」
妖精達は照れくさそうにもじもじとしながら、散りぢりになっていった。
圭一さんを担いだまま、部屋の中へ入る。
途端、力が抜け、前へ倒れ込んでしまった。
どうやら、もう歩く力も残っていないらしい。
「えへへ、ごめんね、圭一さん。痛かった?」
圭一さんの顔をみやり、わたしは言った。
「もうどこにも行かないで。わたし達、ずっと一緒だよ。
……ねぇ圭一さん、もう朝になっちゃったね。
圭一さんは大学で講義、わたしはその講義を受けなきゃいけないもんね。
朝ご飯はわたしが作るね。トーストに、目玉焼きにウィンナー、
あとは、インスタントのコーンスープ、って、いつもと同じだね。
……でも、圭一さんがわたしの食事に薬を混ぜてたなんて、全然気がつかなかった。
きっと、料理の味がよくて、そっちに気が回らなかったんだね、ふふ。
……圭一さん、わたしもう疲れちゃった。
たまには、大学休んでもいいよね。もうひと眠りしたいな。
次に起きたときも、一緒だよ。わたし達もう、ずっと一緒……」
瞼を閉じて、耳を澄ませた。無音だ。何も聞こえない。もう一度目を開く。
目の前にはちゃんと圭一さんの顔があったので、安心した。
ペガサスも妖精達も、もうどこにもいない。
手に握りしめる冬幻想花は、今や輝きを失い、力なくうなだれてしまっている。
冬幻想花も役目を果たして、眠りについたのかもしれない。
全部夢だったのかも知れない。それでも構わない。こうして圭一さんと一緒にいられるのなら。
もう一度目を閉じた。安らかな眠気が襲ってきた。
凛ちゃん、美里ちゃん、ゆかりちゃん、もう大学で会えないけど、
わたしはずっとみんなのこと忘れない。
「さようなら。」
最後にもう一言だけ、別れを告げた。
わたしはこれから、永遠に終わらない夢の中で、圭一さんとともに生き続ける。
第八話
エピローグ